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ラーメン愛 [雑感]

 今日の昼、急にラーメンが食べたくなって、「行きつけの」と言ってもよいでしょうね、ちょくちょく食べに行かせてもらっている店に行ってきました。

 開店したばかりで私の他に客は見あたらず「しめしめ」と思いながらチャーシュー麺大盛りを頼みました。
 しばらくして注文の品がやって来たのですが、私はここで「ん?」といつもとは違うものを感じました。
 そこには丸い器の中にスープと麺があり、その淵に添って丁寧に重ねられたチャーシュー(5枚)があった(もちろん(?)刻んだネギやナルトやメンマも載ってました)。

「それがどうした」と思われるかもしれませんが、私はこれにちょっとした感動を覚えてしまったんですね。
 ちなみに「量」とかではなく、その「チャーシューの並べ方」にです。普段からそうした盛りつけだったかどうか定かでないのですけれど、私はその整然と丁寧に並べられたチャーシューに、らーめんに対する「愛」を感じてしまったのです。

 こんな風に感じたことには少々説明がおそらく必要で、どうも日によって店で働いている人が違う、これが関係していたようなんですね。
 ラーメンを作る人は年期の入った感じのおじさんで、この人はいつもいらっしゃるようです。この他に店主らしき四〇代くらいの方がお一人、このおじさんと店主の組合せが多い。
 でも、たまにアルバイトと思しきおばちゃんとお兄ちゃんとが盛りつけと配膳の時があって、この時(いままであまり意識しないでいたようなんですが)がっかりしちゃってたんですね。チャーシューとかネギとか、やや無造作に置いただけに感じられたんです。あとネギの刻み方も結構「雑」に見えてしまっていた。

「そんな忙しいんだからしょうがないじゃん。ラーメンだし、盛りつけにそんなに文句言うな」と自分なりに思っていたんですけど、今日、店主らしき方が盛りつけてくれたチャーシュー麺を目にして、チャーシューが綺麗に並べてあって、ネギもきちんと刻んであって「ああ、愛があるなぁ…」と。

 それは客商売なんだから当たり前だろ、と言ってしまいたくない感覚でした。もし「当たり前」なんだとしたら、それができているお店ってそんなにないように思いますし、「当たり前」を「当たり前」にしてくれた店主に私は感動したんですね。

 そんな感じで気分がほっこりした私は、なんだかいつもより美味しいラーメンを食べて帰って来ることができたのでした。ありがとう店主。また食べに行きます。


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「つまを立てる」 [雑感]

「キャベツを水につけてパリッとさせることを『けんを立てる』って言わない?」
隣に鎮座されているM先生がこうおっしゃった。
「いや~知らないですねぇ」と私。

そこでちょっと調べてみる。

「けんを立てる」の「けん」とは「刺身のつま」の「つま」と同じく「料理の付け合わせ」を意味することが分かった。
そこで気になったのは「けん」には漢字が当てられていないが、「つま」の方は「妻」もしくは「夫」が当てられていることである(広辞苑)。

興味深いのは「つま」は「妻」だけでなく普通「おっと」と読む「夫」も「つま」と読むことである。広辞苑に寄れば「配偶者の一方である異性」を意味するのが「つま」であり、そこにはジェンダー構造は関与していない。どちらも等しく「つま」である。

その「つま理論」(大袈裟だなぁ)でいえば「トンカツ」と「けん」は同格であり、「刺身」と「つま」も同格として考えるのが妥当ということになる。
「トンカツ」と「けん」、「刺身」と「つま」はワンセットであり、片方だけあるという状態は本来的なものではない。

なぜか。

おそらく「どちらか一方だけではもう一方が際立たない」からである。
油で揚げたトンカツは、さっぱりシャキシャキのキャベツを箸休めに食することで、その油の味が際立ち、最後まで飽きずに美味しく食べることができる。
刺身の舌に絡むような食感は、しゃっきりした大根などの「つま」を間にいれることで、なお際立つ。

さらに「つま」には刺身から滲み出てきてしまう余分な水分を適度に吸い取るという機能もある(下につまがなければ皿の上に水分がたまり、魚の傷みは早くなるだろう)。

ということは、妻と夫がそれぞれ「つま」であることも納得がいく。
「妻」は「妻」だけでは「妻」たりえない。
「夫」は「夫」だけでは「夫」たりえない。
それぞれが同じ皿の上に乗っていることで、双方を際立たせ、夫婦は夫婦として味わい深いものになる。
そういうことだと思う。

世の中には「必ずなくてはならぬもの」がある。
それは「自分を際立たせてくれるもの」の存在である。
「それ」がなければ自分は「自分の持ち味」を発揮できない。
だからどうしても「それ」は必要とされる。

だがそれは同時に「自分が相手を際立たせている」ことにもなる関係である。
「自分を際立たせてくれる相手」と共にいるとき、必ず「相手も自分といることで際立たせられている」のである。


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